ATで学ぶこと

ATでどんなことを学んでいくのかもう少し書きます。

1.体の感覚に耳を傾けること

ATは感覚を通したレッスンです。そこで重要な感覚は「体感覚」です。視覚や味覚、すべて神経が情報を伝えることによって

私たちはそれらを感じることができますが、「体感覚」も同様に、筋肉のなかに「空間のなかで体がどんなふうに配置しているか」とか、「どれだけの力を入れているのか」「どんなふうに動いているのか。」を感じ取る受容器があって、そこから神経が脳につながりその情報を伝えるようになっています。

こういった感覚は、人間が原始的な生活をしている段階ではとても重要でした。外の情報と同時に、自分の体の情報とつながっていることが、敵から身を守ったり、馬を乗りこなしたり・・といったことに不可欠です。

けれど、文明の発達に伴い、人間は体に意識を払わなくても生きて行けるようになりました。

「毎朝同じ電車でオフィスに行き、一日中パソコンの前に座る。」といった典型的なオフィスワーカーの生活では、無意識に同じ日課を繰り返し、頭のなかであれこれと考えごとをして過ごしています。

ですから、この「体感覚」は「失われた感覚」とも言われます。

ATのレッスンを受けていくと、自然にこの感覚が目覚めてきます。

私たちは長年かけて習慣を培ってきました。それは着慣れた服のように自然に感じるため、習慣をやっている感覚は「正しく」感じられます。習慣を変えることのむずかしさはここにあります。習慣を変えようとすると「間違っているかのように」感じられること。でもそれは私たちのなかにある「物差し」がゆがんでいるからなのです。

2.自分の頭と首のことに気づく

アレクサンダーが発見したことはどれも重要ですが、その中の一つは「頭と首の関係が体全体の機能を変える」ということです。

私たちは何かショックを受けると呼吸を詰めて首の筋肉をキュッと縮めます。その際に頭は後ろ・下の方向へ引っ張られます。

これはその瞬時に起きる本能的な反応で、ショックなことが終わればやめていけるのですが、私たちは体に意識を払ってこなかったために、そのままその反応を続け、日常的な「自分のあり方」の一部になってしまっています。

ものを取るとき、椅子に腰かけるとき、「何かをしよう」と思うその瞬間に、首を縮めて頭を後ろ、そして下へ引き下げるという必要のない無意識な動きを付け加えています。

頭は10キロ近い重さがあるため、こうやって首を緊張させることを繰り返すときに、頭の重さが肩や腰、背骨全体に伸し掛かります。これが私たちの呼吸や消化活動といった体の機能や、さまざまな動きを邪魔します。

体感覚に意識的になることによって、自分がどんな風に反応しているのか、特に頭そして首について気づいていけるようになりたいのです。

 

3.まかせること(non-doing)

さて、自分が首を緊張させていたり、頭を後ろへ押し下げていたり、また体の各部を緊張させていることに気づくと、その箇所をどうにかしたくなるものです。

頭を後ろ・下にやっていることに気づいたアレクサンダーは「では、それが起こらないように反対のほうへ頭を持っていこう。」としましたが、いざ朗誦しようとすると、自分では前、上にやっていると思ったにもかかわらず、また後ろと下にやってしまっていることに気づいたのです。

これに気づいたアレクサンダーは愕然としました。「自分が前、上だと思っていたその感覚はあてにならない。」

これが「感覚的評価はあてにならない。」という重要な原理の発見になります。

私たちの意識は体から離れ、習慣的な使い方に慣れ親しんでしまっているため、自分の感覚で「正しい」と感じても、

それが現実とはかけ離れてしまっていることがあるのです。

だから、自分で「正しい」と思う方向へからだを持っていこうとしてもうまく行かず、新たな緊張を作ってしまいます。

では、どうすればよいでしょうか。

アレクサンダーは、「詩を読もう」という目的を思うことと、首を緊張させる反応が密接に結びついていることに気づきました。

私たちも同様、首を緊張させているとき、何かやっていることに意識がすべて行ってしまい、自分自身のことは忘れています。

ですから、重要なのは意識の上で少しストップすることです。これをアレクサンダーは「抑制」と呼びました。

「抑制」することによって、私たちのシステムに本来の望ましい状態に戻っていくチャンスが生まれます。